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インド仏教の起こりから消滅までのおおまかな歴史



インド仏教の歴史は、紀元前5世紀頃にお釈迦様を開祖として、

13世紀の初めころに消滅するまで、おおむね下記のように考えられています。



(1)初期仏教(紀元前5世紀頃から紀元1世紀頃) 原始仏教から部派仏教へ



(2)中期仏教(紀元1世紀頃から7世紀頃)    大乗仏教の興隆



(3)後期仏教(紀元7世紀頃から13世紀初め頃)大乗仏教の中から密教の誕生



(4)インド仏教の滅亡(13世紀初め頃)



(1)初期仏教ー原始仏教から部派仏教へ

仏教の開祖お釈迦様の本名はゴーダマ・シッダッタといいます。

今から2500年前に、インド北部(現ネパール)の釈迦族の王子として生まれたゴーダマ・シッダッタは何不自由のない生活を送っていましたが、いつしか人間は「老いと病いと死」の苦しみにもだえ続ける生き物であることを知り、29歳のときに新たな生き方を求めて修行の旅に出ます。



最初は断食などの肉体を痛め続けることで心の苦しみを消滅させようと考えましたが、苦行ではそれがかなわないことを知り「心」の修行へと向かい、菩提樹の下で瞑想修行により35歳のときに、ついに悟りを開きます。



その後80歳で亡くなるまで、弟子たちとともに各地を旅しながら人々に様々な教えを説いてまわりました。このときの「教え」が現在の仏教の基本(原始仏教)です。



この当時は文字を書いて記録するという文化が発達していなく、「教え」は聞いた人の頭の中(記憶)にだけありました。お釈迦様が亡くなったあと弟子たちは記憶を頼りに、お釈迦様の「教え」をみんなで共有しインド各地に散らばり口伝というかたちで広め伝えていきました。



やがて、数百年経ち文字で書き記すという文化がインドに定着し、お釈迦様の教えが記録されていきます。これが「お経(原始経典)」の起源です。原始経典はお釈迦様の「言行録」という性格を持っています。



初期仏教は、アショーカ王(紀元前268年〜232年在位)の登場を境として、原始仏教と部派仏教に分けられます。部派仏教はお釈迦様の教えの見解の相違により、20ほどのグループ(部派)に分裂したのでこう呼ばれます。(お釈迦様が亡くなってから100〜200年後の紀元前3世紀中頃、インド亜大陸の統一を果たしたマウリヤ朝第三代のアショーカ王が仏教に帰依したことが、仏教がインド全土に広まった一番の理由であると考えられています)

でも、分裂したといっても部派仏教のそれぞれの部派が、自分たちの正統性を主張しながらも自分たち以外の部派の存在も承認していました。



リーダーが亡くなって100年も経てば弟子たちのお釈迦様の教えに対する考え方や解釈にずれが生じていくのは当然のことで、「仏教の教えの中にもいろんな解釈があっていい。異なる考え方をもつ相手を否定するのではなく、お互いの仲間として認め合おう」という状況が生まれたのです。



本来ひとつであったお釈迦様の教えがいくつにも分かれてしまったのですが、ことなる解釈を認め、バラエティ豊かな宗教になったことで仏教は多様化への道を歩み始め、後に世界に広がり世界三大宗教のひとつにまでなったのだろうと思われています。



この部派仏教を継承する仏教は、後に小乗仏教と呼ばれ、さらに今ではテーラワーダ仏教(上座部仏教)呼ばれます。



〜小乗仏教について〜

紀元前2世紀頃に利他主義の立場に立ち、人々を悟りに導く大きな乗り物の意味をもつ大乗仏教の運動が起き、それまでの、自分だけの悟りをめざす保守的な伝統仏教(部派仏教)を小乗仏教と呼びました。「小乗仏教」とは大乗仏教徒たちが自分たちの仏教と比べて劣っていると揶揄した名称です。



大乗仏教が民衆に受け入れられ発展していくと、小乗仏教といわれた部派仏教もおおきく変化していき、現在では小乗仏教とは呼ばず、上座部仏教または長老派仏教=テーラ・ワーダと呼ばれています。



大乗仏教は中央アジア、チベット、ネパール、中国、日本に伝播しましたが、この流れを「北伝仏教」といいます。上座部仏教は、スリランカ、タイ、ミャンマーなどに伝わり「南伝仏教」と呼ばれています。



(2)中期仏教ー大乗仏教の興隆

紀元前2世紀の後半頃から、新しい仏教を提唱する、おそらく自然発生的な大衆運動が展開され、その運動の担い手たちは自らの仏教を「大乗」と呼び、それまでの伝統仏教に「小乗」という蔑称を与えました。大乗仏教は大きな乗り物の意で利他主義の立場にたつ仏教で、小乗仏教は小さな乗り物の意で個人の悟りに偏重する仏教のことです。(最近の研究では大乗仏教は大衆(在家者)からうまれたのではなく、部派仏教の一部の僧侶たちから生まれたという学説が有力になりつつあります)



小乗仏教では、一部の選ばれたエリート(出家者)しか悟ることはできないとされ、大乗仏教においては、悟りに向かって修行する者は誰でも菩薩と考えられ、出家せずに世俗の生活をおくる者(在家者)、老若男女を問わずあらゆる人たちに菩薩となる道が開かれました。



大乗仏教ではさらに仏や菩薩に対する考え方が飛躍し、ほとけたちの神格化がはじまりました。生身の人間の菩薩のほかに、抽象的な人格をもち人々の礼拝対象となるようなほとけたちが考えだされました。阿弥陀如来や薬師如来、観音菩薩や文殊菩薩などは、この時代にインドで生まれ中国、朝鮮半島を経て日本にやってきました。日本の仏教はすべて大乗仏教です。



インドの大乗仏教は中期仏教と呼ばれる時代に、大きく発展します。原始経典はお釈迦様の「言行録」という性格をもっていますが、大乗仏教の経典は、お釈迦様の教えではないことも書かれています。原始経典には書かれていなくても、理屈に合っていて、お釈迦様の教えとしての整合性があれば、それは正しい仏教の教えと考えた人たちによって大乗経典は書かれたのです。



大乗経典の中には、お釈迦様の教えとはかけはなれたものもありますが、あくまでもお釈迦様の教えを基盤にしているとされています。修行者たちの「これこそがお釈迦様が伝えたかったことだ。私は仏教の正しい在り方を体験した」という宗教体験から生み出された教えということです。



大乗経典は出家者に限らず在家者も含むより多くの人々に伝えるという目的をもっていたため、表現は多様になり文学的になりました。又、お釈迦様の教えを掘り下げて哲学的に解釈したり思想として成熟させたりすることになりました。初期経典はお釈迦様の「言行録」ですが、大乗経典は哲学書や思想書ではなく「奥深い物語」として提示されたことで多くの人に広がり、ほぼ出家者に限定されていた悟りへの道を在家の人々にまで拡大しました。



仏教は原始仏教から部派仏教へさらに大乗仏教へと変化発展していきました。ただ、大乗仏教が登場してからも、インド仏教の主流はあいかわらず小乗仏教だったようです。大乗仏教がメジャーな地位を獲得したのはかなり後で、5〜6世紀頃といわれています。



(3)後期仏教ー大乗仏教の中から密教(純密)の誕生

5世紀頃、ライバル関係にあったヒンドゥー教の勢力が大きくなり、インド仏教(大乗・部派)は衰えはじめました。そして、なんとか衰退を食い止めようと密教という新しいタイプの仏教が大乗仏教の中から生まれました。



初期仏教、部派仏教、大乗仏教の経典では、お釈迦様が公開形式で教えを説いており、これを顕教(けんぎょう)と呼ぶのに対し、特定の行者のみ秘したかたちで説いたとされる教えを秘密仏教、略して密教といいます。



初期段階の密教は雑密(雑部密教)と呼ばれ、名称が示すように雑念とした未整備の密教です。本格的な密教は純密(純粋密教)と呼ばれ、はじめに「大日教典」が、少し遅れて「金剛頂教典」が成立した7世紀の初めころに登場しました。



インド仏教が衰退を食い止めるために行ったことは、主にヒンドゥー教の要素を取り込むことと、ヒンドゥー教がまだ手をつけていない領域に進出することでした。このようにして生まれた密教は、大乗仏教の最終的な形態です。



ヒンドゥー教の要素を取り込むこととは、呪術的な要素を積極的に取り入れることと、ヒンドゥー教の神々の仏教化です。具体的には、護摩法や真言(しんごん)や陀羅尼(だらに)を唱えて人々の様々な願いを成就させることであったり、ヒンドゥー教の人気者を大乗仏教にリクルートすることです。



真言(しんごん=別名マントラ)や陀羅尼(だらに)とは、仏さまの真実の言葉という意味を表していて、功徳を最大限に引き出すとされる呪文、威力ある聖なる言葉です。梵語(サンスクリット)をそのまま音写し、短いものを真言といい、長いものを陀羅尼と呼びます。



リクルートしたヒンドゥー教の神々は、たとえば日本仏教のなかの「梵天(ブラフマー神)」「帝釈天(インドラ神)」「毘沙門天(クベーラ神)」「吉祥天」「弁財天(サラスヴァティー女神)」などの「天」という字がつく神々で、本来はヒンドゥー教の神々です。また、十一面千手観音のように、たくさんの頭と手をもつ観音さまはヒンドゥー教の破壊神シヴァが原型といわれています。



次の、ヒンドゥー教がまだ手をつけていない領域に進出するとは、それまで仏教が否定し続けてきた人間の欲望を、それ自体は清浄でけっして汚れてはいないと肯定したうえで、悟りを求めるエネルギーに変換させようとします。密教の後期(8世紀〜)にいたっては性修行も導入しました。又、聖域空間である曼荼羅(まんだら)もヒンドゥー教がまだ手をつけていない領域でした。曼荼羅は簡単に言うと仏さまの悟りの境地を絵柄で表したものです。今まで述べてきたような背景と手段で生まれた密教は7世紀〜9世紀にかけて最盛期を迎えます。



(4)インド仏教の滅亡

紀元前5世紀に始まったインド仏教は、初期仏教→部派仏教→大乗仏教→密教と変容していきましたが、ついに13世紀の初頭ころ滅亡しました。原因はイスラーム勢力による暴力とヒンドゥー教との抗争に敗れ吸収されたこととされています。



しかし、お釈迦様を開祖とする仏教の教えは他の国へ伝播しました。

部派仏教のひとつであるテーラワーダ仏教(上座部仏教)は東南アジア(スリランカ、ミャンマー、カンボジア、タイ)へ、

大乗仏教(顕教・密教)は東アジア(日本、中国、韓国、ベトナム、チベット、モンゴル)に伝わり、それぞれの土地の文化や土着信仰などと習合し、インド仏教と異なる姿に大きく変容したものもありますが、今も生きています。



他の国へ伝播し、地域により変容し異なる教えとなった仏教ですが、すべての仏教に共通する要素もあります。 それは「悟り」の探求です。テーラワーダ仏教徒も、大乗仏教の信奉者も「悟り」という心の状態を求めるという点では同じです。







<仏教の歴史と教え>

仏教の教え(初期〜大乗〜密教)


チベット密教について



<仏教美術について>

仏教美術について(初期〜顕教〜密教)


タンカ(仏画)について


五仏(五如来)について



参考文献