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初期仏教ーお釈迦様の教え



釈迦の入滅後の仏教を「初期仏教または原始仏教」といいます。初期仏教は時間の経過とともに、さまざまなグループ(部派)に分裂し、そのグループのひとつがスリランカに伝わり、そこからミャンマー、カンボジア、タイに伝播して、今日「テーラワーダ仏教(漢訳では上座部仏教)と呼ばれています。



お釈迦様の創始した仏教の流れを汲むテーラワーダ仏教の最大の特徴は、外の力に頼らずあくまでも自分の力で道を切り開くという点です。煩悩にまみれた生活から始まって、修行により煩悩から脱し、遠い遠い未来に「悟る」ことを目指す。お釈迦様は修行の本質は肉体を痛めつけるような苦行ではなく、ただひたすら精神を集中することにあるという真実に気づきました。ですので、テーラワーダ仏教の出家者は毎日はただひたすら瞑想する修行です。それでも悟ることの出来る人はごくごくわずかです。テーラワーダ仏教の目標は「永久に到達できない目標に向かって、一歩でも近づけるように努力し続けること」ということかもしれません。



そのくらい困難な目標を本気で目指すならやはり出家しかないということになります。スリランカやタイのテーラワーダ仏教は初期仏教のシステムを受け継いでいます。出家者である僧侶は種々の戒律に従い教団内で修行して暮らし、在家の一般信徒は僧侶たちの生活を経済的に支えています。



1.伝承されるお釈迦様の教えの要点

お釈迦様が創始した仏教の伝承される要点は下記のようなものです。

●四法印(しほういん)ーお釈迦さまの教えの四つの柱。

内容的には四諦と八正道を組み合わせたようなもの。

 【一切皆苦】いっさいかいくーすべては苦である。

 【諸行無常】しょぎょうむじょうーすべては変化する。

 【諸法無我】しょほうむがーすべてはじぶんのものではない。

 【涅槃寂静】ねはんじゃくじょうー仏教における絶対平安の境地。

仏教では「一切皆苦」「諸行無常」「諸法無我」の心理を理解すれば悟りを得て「涅槃寂静」を得られると考える。



●中道(ちゅうどう)ー仏教の原則は快楽の極端と苦行の極端の両方を避ける合理的で穏やかな中道にある。

●縁起(えんぎ)ーすべての生物すべての現象は網の目のように繋がっている。お互いに依存し、影響を与え、関連仕合い、今ここにある。

●戒律(かいりつ)ー出家者に課された欲望や迷いを離れ修行を行うための生活の規律。

●四諦(したい)ー苦が生じるプロセスと、苦をなくす解決方法の四つの真理。

●八正道(はっしょうどう)ー苦をなくすための八つの修行法。



(1)一切皆苦(いっさいかいく)〜この世は苦しみだらけ〜

自分の行く手にあるのは老いと病いと死。この絶対的な心理に向かって生きていかなければならない苦しみを知ってしまった若き日のお釈迦様。

お釈迦様に現世を捨てさせたもの、修行の道へと駆り立てたものは「この世は苦しみだらけ」という気づきでした。



〜六道輪廻(ろくどうりんね)〜

さらに、お釈迦様が生きていた時代のインドでは輪廻思想というものがありました。これは宇宙には「天」「人」「阿修羅」「畜生」「餓鬼」「地獄」という六つの世界があって、生きとし生けるものは自らがなした行為によって必ずこの六つの世界のどこかに生まれ変わり死に変わり、いつまでもぐるぐる巡り続ける六道輪廻という考えで、善行を果たせば善き生に生まれ変わり、悪行をなした者は悪しき生を迎え、輪廻世界は総体として苦しみの世界です。つまり、生きても死んでも苦しみは輪廻世界の中で永遠に続いていくということです。お釈迦様もこの考えは受け入れていました。


〜六道輪廻〜

【 天 】ヒンドゥー教の神々としての生。

【 人 】通常の人間としての生。

【阿修羅】ヒンドゥー教の闘争好きな下位の神々としての生。

【畜 生】弱肉強食の常に不安に怯える動物としての生。

【餓 鬼】飢えと渇きで骨と皮になって苦しむ生。

【地 獄】責め苛まれる。六つのうち最も苦しみの多い生。

 死者はすぐに転生せず49日間は中有(ちゅうう)という中途半端な状態にあるといわれています。




〜煩悩(ぼんのう)〜


お釈迦様はこの苦しみに満ちた輪廻世界を離れ、永遠に変化しない絶対安穏な状態になるためには、煩悩と呼ばれる私たちの心の中にある悪い要素を完全に断ち切らなければならないと考え、人生の「苦」を乗り越える修行方法を編み出しました。



煩悩にはいろいろなものがあります。強欲、嫉妬、怒り、傲慢など全部で108あるといわれています。この中で私たちを最も苦しめ悩ませる煩悩を、三毒の煩悩といいます。


〜三毒(貪・瞋・癡(とん・じん・ち))の煩悩〜

【貪欲】どんよくー貪り

【瞋恚】しんいー怒り

【愚痴】ぐちー愚かさ

 お釈迦様は、三毒の中でもいちばん苦しみの原因になる煩悩は、「無明(むみょう)」だと考えました。「明」は智慧のこと、「無明」とは智慧がないことで「愚かさ」の意味です。愚かさこそが苦しみの究極の原因ということです。




〜因果の法則・縁起〜

初期仏教は、この世の森羅万象あらゆる現象の背後には「因果」の法則が作用していると考えます。この世の出来事はすべて原因と結果の峻厳な因果関係にもとづいて動きます。自分がなしたことの結果は必ず自分に返ってくる(カルマの法則=業(ごう))。人は自分の行為に対し100%その責任を負うというのがお釈迦様の考え方の大きな特徴です。



この世が原因と結果だけで動いているとすれば、すべての存在、あらゆるものごとは、因果関係の網の目でつながっていますから、いつでもお互いに影響し合っています。すべては「因」の一要素にすぎず、その無限数の「因」の一要素が絡み合い、連鎖し、その結果思わぬところに影響が出る因果関係のことを「縁起」といいます。「風が吹けば桶屋が儲かる」という言葉は、この縁起をいったものです。



(大乗仏教ではこの因果関係は初期仏教とは異なるものになります。因果則を超える神秘的で特別な何かがあると考えます)



(2)諸行無常(しょぎょうむじょう)〜すべては変化する〜

平家物語の冒頭の一文の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」は、平家の栄耀栄華は続かなかったことを書いたものです。



108ある煩悩の中で、究極の苦しみをもたらす煩悩は「無明」といわれています。「無明」は愚かさのことで、ものごとを誤った捉え方をし、正しく世界を見れていないということです。「すべては変化する」、これがこの世で起こっているものごとの正しい姿はです。すべてものは時々刻々変化する。永遠不滅なものなどどこにもない。これを「諸行無常」といいます。



たとえば、やっと得た財産や地位や名誉、良好な人間関係、若さなどずっとこのままと思い込み、またはずっとこのままであってほしいと「執着」します。「執着」は苦しみにつながっていきます。お釈迦様は諸行無常の真理を理解すれば、「無明」からくる「執着」を離れることができると説きました。



(3)諸法無我(しょほうむが)〜すべてはじぶんのものではない〜

諸法無我はすべての存在、ものごとは、お互いに影響を及ぼし合う因果関係によって成り立っていて、他と関係なしに独立して存在するものはない。自分という存在すら主体的な自己として存在はしていないという真理で、すべては因果関係・縁起によって成り立つ相対的な現象であるという教えです。



「諸行無常」はこの世のすべてのものは変化する真理。

「諸法無我」はこの世に「私」という絶対的存在などどこにもないという真理



お釈迦様はこの2つの真理を理解すれば、世界をあるがままに正しく見られるようになって「悟り」を得、煩悩を滅した安らかで苦のない境地の「涅槃寂静」に至ると教えています。



2.初期仏教の修行法

初期仏教はひたすら自分の心を修める修行の道を定めた「修行の宗教」です。煩悩まみれの自分からスタートして、ゴールを煩悩の消滅した悟りの状態(涅槃)の置き、神秘的な力を信じず、生きていくうえでの苦悩をすべて自分の問題として考え、自らを変えていくことによって少しずつ段階的に悟りを得ることを目指します。



開祖のお釈迦様は人生の「苦」を乗り越える修行法を、「戒律生活」「四諦」「八正道」で説いています。



(1)戒律(かいりつ)〜修行者の生活規律〜

煩悩の世界から逃れたい人は、仏道に入門し出家者(修行者)となるために、仏法僧(ぶっぽうそう)の三宝に帰依します。


〜三宝(さんぽう)3つの権威〜

【仏】ブッダーお釈迦様

【法】ダンマーお釈迦様の教え

【僧】サンガーお釈迦様の弟子たちの教団




出家したものは200以上の具体的な戒律に従って欲望や迷いを離れた生活の中で修行します。戒律の目的は欲望を抑え修行に取り組みやすくすることにありますが、集団生活上の取り決めという性格もあります。

〜戒律の基本〜

●性的な行動をしない。盗まない。生きものを殺さない。

●「俺は究極の悟りを得た」などと妄語しない。

この2つから始まって、さまざまな細目が展開する。

●正午から翌日の夜明けまで食べ物を食べてはいけない。

●大声で笑ってはいけない。

●他の修行者をくすぐってはいけない。

●衣をたくしあげてはいけない。等々




初期仏教のシステムを受け継いだテーラワーダ仏教では、今でも200を超える戒律を厳格に守っています。また、出家者の生活を経済的に支える在家の信徒は、殺さない、盗まないなど五種(五戒)の戒律を守らなければなりません。

〜在家の五戒〜

【不殺生戒】ふせっしょうかいー生きものを殺さない。

【不偸盗戒】ふちゅうとうかいー盗まない。

【不邪淫戒】ふじゃいんかいー邪な性行為をしない。

【不妄語戒】ふもうごかいー悟りを妄語しない。

【不飲酒戒】ふおんじゅかいー酒を飲まない。

(大乗仏教では別の「戒律」が説かれています。また、日本仏教では「戒律」にこだわらなくなっています)




(2)四諦(したい)〜苦をなくす四つの真理〜

出家者となり戒律を守って暮らし、お釈迦様の教えの「四諦」と「八正道」に従って修行生活を送るのが、初期仏教の基本です。「四諦」とは人間の苦悩が生まれ出るプロセスを分析し、それにどのように対処すべきかを説いた仏教の基本方針です。「諦」は明らかにするという意味。英語では「truth(真理)」です。


〜四諦〜

【苦諦】くたいーこの世はひたすら苦しみであるという一切皆苦の真理。

【集諦】じったいーその苦しみを生み出す原因が心の中の煩悩だと知ること。

【滅諦】めったいーその煩悩を消滅させることで苦が消えるという真理。

【道諦】どうたいー煩悩を消滅させるための具体的な八つの道を実践すること。




(3)八正道(はっしょうどう)〜苦しみをなくす八つの道〜

「四諦」にある「道諦」の煩悩を消滅させるための具体的な八つ道が八正道です。


〜八正道〜

【正 見】しょうけんー正しいものの見方。
(四諦という根本的な真理を忘れない)

【正 思】しょうしー正見にもとづいた正しい考えをもつ。(煩悩に陥るような思考をしない)

【正 語】しょうごー正見にもとづいた正しい言葉を語る。(嘘やくだらない話などをしない)

【正 業】しょうごうー正見にもとづいた正しい行いをする。(殺生、盗み、性行為をしない)

【正 命】しょうみょうー正見にもとづいた正しい生活を送る。(衣食住をほどよいものにする)

【正精進】しょうしょうじんー正見にもとづいた正しい努力をする。(善を行い悪をしない)

【正 念】しょうねんー正見にもとづいた正しい自覚をする。(常に自らの心身をチェックする)

【正 定】しょうじょうー正見にもとづいた正しい瞑想をする。(適切な瞑想を実践する)


出家者、在家者ともにそれぞれの修行で、人々への慈しみの心、深い洞察力や智恵が高まると、それに応じて来世の生のステージが上がります。そして初期仏教の最終ゴールは「阿羅漢(あらかん)」という聖者になりことです。お釈迦様は完璧に悟って仏陀になりましたが、仏陀は別格の存在で、仏弟子は仏陀にはなりません。仏陀の一歩手前の位である「阿羅漢」になるのを最終目標にしています。






大乗仏教の教え



現代まで存続している仏教は二つの大宗派に分かれます。一つは初期仏教の教えを受け継いだテーラワーダ仏教、もう一つは大乗仏教です。もともとあった「初期仏教」にのちの人が手を加えオリジナルの教えとは別のものとして日本や中国に伝わったのが大乗仏教です。



大乗仏教も初期仏教も、悟りを得て二度と生まれることのない涅槃をゴールとしている点は同じです。また、煩悩を鎮めて苦の悪循環を断つという基本的な修行方針は同じですが、修行の方法、目的はいろいろな点で異なっています。



1.初期仏教と大乗仏教の相違点

初期仏教と大乗仏教の相違点は下記のようなものです。


【初期仏教】

●信仰する対象は、お釈迦様のみ。

●気の遠くなるような修行の道をまっすぐに一歩ずつ進み、自分自身の努力の積み重ねによって悟りを得る自己救済型。

●ブッダとしての資質である仏性は、修行を積み重ねて持ち得る。苦の原因は煩悩と輪廻の世界で、これらは吹き払い抜け出すべきもの。

●出家者しか悟ることはできない。

●主に自己の救いのための「自利の行」の修行を行う。

●修行の最終目的は煩悩を消し阿羅漢(ブッダより位は下)になること。




【大乗仏教】

●信仰する対象は、お釈迦様だけでなく、いろいろな如来、いろいろな菩薩がいる。

●気の遠くなるような修行の道がある一方で、いろんな仏たちの神秘的な救済パワーを借りることができる。自力型も他力型もあり。

●仏性は、すでに持っている。煩悩も輪廻の世界も必ずしも否定的に見ない。むしろ輪廻のただ中にあって煩悩に悩みながらも仏性を発揮しようと考える。

●出家者だけでなく在家者でも悟ることができる。

●「自利の行」のみならず、開祖のお釈迦様にならって人々の救済のための「利他の行」の実践を重んじる、自利と利他の修行の道がある。大乗の道を自覚的に歩むものを菩薩と呼ぶ。(菩薩とはサンスクリット語の「ボーディサットヴァ」の音写、「菩提薩埵(ぼだいさった)」の略。もともとは過去生で修行中のお釈迦様を指す言葉だったが、自らの修行の完成を目指す修行者(ブッダ候補生)を言うようになった)

●修行の最終目的は煩悩を消し、お釈迦様と同じブッダになること。これを成仏という。

(ブッダとは悟った人。人間の最高の理想の姿)



このように大乗仏教は、

(1)初期仏教のように悟りを得るために、まっすぐ一歩ずつ修行の道を進む以外に、

(2)人間はすでに仏性を持っているという前提で多次元的な修行もあり、

(3)諸仏の神秘的なパワーを借りる裏技もある。

基本は(1)の修行の道で、

「修行を積んで輪廻の果てにブッダになる」

裏技(2)の異次元ワープ、

「あなたも仏性をもつ。これに気づけばゴールも同然」

究極の裏技(3)の信仰の道、

「崇拝対象の超自然的な力によっても救済は果たされる」と考えます。



大乗仏教には、自力型もあり他力型もあり、寛容で融通無碍で、ある意味なんでもありの教えで、初期仏教を受け継ぐテーラワーダ仏教からすれば容認できない教えかもしれません。しかし大乗仏教は、初期仏教では救えなかった人々を救う役目を負ったとも言えます。



初期仏教にはカルマの法則や輪廻と言った現代社会では受け入れにくい概念も含まれていますが、神秘的な要素はほとんど含まれていません。初期仏教は心の苦悩を自分の力で消したいと願う人たちにとっては、論理的で理性的でほぼ完璧な教えです。しかしそこには出家や修行という現実世界ではなかなか実行できないハードルが設定されています。初期仏教の教えだけでは救われない人たちがどうしてもでてきてしまいます。こういう人たちにのために必然的に誕生したのが大乗仏教です。



2.大乗仏教の修行法

現在の日本に伝わっている大乗仏教の経典は、「般若経(はんにゃきょう)」「法華経(ほけきょう)」「華厳経(けごんきょう)」「阿弥陀経(あみだきょう)」「涅槃教」(ねはんきょう)」などいろいろな大乗経典がありますが、これらの大乗経典の教えの内容はかなり異なっています。「在家のままでブッダの道を歩むことが可能と考える」という部分は共通していますが、それぞれの経典によってブッダになるための方法やプロセスに違いがみられます。



数ある大乗経典の中でおそらく最古のものと考えられているのは「般若経」です。

(「般若経」と呼ばれるお経はたいへん種類が多く、「般若心経(はんにゃしんぎょう)」も数ある般若経典の系統に分類されるお経のひとつで、「般若経」の教えのエッセンスがコンパクトにまとめられたものです)



「般若経」は、大乗仏教系の様々な宗派で広くとなえられるお経で、その中に大乗仏教の根本精神とされる「空(くう)」と「六波羅蜜(ろくはらみつ)」の教えがあります。



初期仏教から出家修行者には八正道の実践が求められていましたが、大乗仏教はこの八正道をコンパクトでダイナミックな六項目(六波羅蜜)に整理し直し、そのポイントである「空」を強調しました。「空」の精神のもとで「六波羅蜜」を実践せよとの教えです。



他人を救うことを重要課題と考える大乗仏教は、社会における実践を重視しこだわらない心で行動するように人々に求めました。「空」とはこだわらなさ、とらわれのなさ、からっぽということです。(「空」はとらわれない心の指標ですが、哲学的には「物には実体がなく、相互関係(縁起)のなかにあること」を意味します)


〜六波羅蜜〜

【布施波羅蜜】ふせはらみつー与える。精神的にも物理的にも。

【持戒波羅蜜】じかいはらみつー戒律を守る。

【忍辱波羅蜜】にんにくはらみつー苦難を忍び心を動かさない。

【精進波羅蜜】しょうじんはらみつー努力を惜しまない。

【禅定波羅蜜】ぜんじょうはらみつー瞑想による精神統一をする。

【智慧波羅蜜】ちえはらみつー真理を見極めて煩悩を消し、悟りを完成させる。


最後の「智慧波羅蜜」は「般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)」または「般若波羅蜜多(はんにゃはらみった)」ともいいます。「般若」はサンスクリット語でプラジュニャ(完璧な智慧)、「波羅蜜多」はパラミータ(完成)で、「智慧の極み」という意味です。他の五波羅蜜を常に心がけ実践することによって自然にたどりつくということです。



「布施、持戒、忍辱、精進、禅定」については、それほど難しいことを言ってはいません。大乗仏教では、すでに私たちは仏性をもち、ブッダ候補生の菩薩としてこの世に存在しているのだから、日常生活の中で善行を積み重ねていけば、それが悟りのエネルギーになり、やがてはブッダになることができるという教えになりました。悟りの方法を「厳しい出家修行」から「日常の善行」に変えたといえます。






密教の教え



密教は「秘密仏教」という意味で、大乗仏教に属していて、大乗仏教の最終的な形態です。そして密教の特徴は神秘主義的で象徴主義的で儀礼主義的な傾向が強いことです。神秘的な体験を重視し、シンボル(象徴)をたくさん使い、儀礼を盛んに行います。曼荼羅もシンボルのひとつです。これらは言葉だけでは仏教の最高の真理は表現できない、理解できないという仏教の絶対的な前提から考え出されたものです。




1.密教の修行法

密教でもっとも重視される修行に「三密加持(さんみつかじ)」があります。これは瞑想修行のなかで、自分自身が瞑想対象の仏菩薩そのものになりきってしまうこと、変身することを目的とする修行です。



三密といわれる、身密(しんみつ)、口密(くみつ)、意密(いみつ)からなり、

修行者が手には対象となる仏菩薩が結んでいる印契(手印)を結ぶことを身密、

口には対象となる仏菩薩をたたえる真言を唱えることを口密、

心には対象となる仏菩薩の姿形をありありとイメージすることを意密といいます。



欲望や執着や他者への怒りなどの煩悩を受け入れ、手印、真言、イメージというシンボルを使い、身体と言葉と心の人間的な全行為の3つの働きをもって、対象とした仏菩薩との一体化という神秘的な体験をするというのが、密教の修行の基本です。



三密加持より得られた悟りは、時間・空間を超え、仏(聖なるもの)と修行者(俗なるもの)とが合一する世界で即身成仏(そくしんじょうぶつ)といわれます。

大乗仏教の顕教の成仏論では、悟りを求め厳しい修行を積み重ねながら、しかも三劫(さんこう=ほとんど無限の時間の3倍という意味)という無限に長い時間を経てようやく仏の境地に至るとしますが、

密教の成仏論は、三密加持の修行を行えば、さほど長時間を必要とせず我々はこの身のままで仏の境地に至ることができるとしています。この即身成仏の考え方は、密教を他の仏教と分ける大きな特色となっています。


2.密教の発達段階

密教は、初期・中期・後期の3期に分ける歴史的分類法があります。これは密教の母国インドにおける密教の歴史的な展開を基本にしたものですが、インド、チベット、ネパール、日本、中国 などあらゆる仏教圏にも適応するすることができます。それぞれの期の概要、特徴は下記の通りです。



(1)初期密教

インドにおいて4世紀から6世紀にかけて成立した密教。陀羅尼(だらに)の読誦を中心とした未完成のもの。日本における雑密にあたる。

●本尊となる尊格は、釈迦如来、薬師如来などの顕教仏。もしくは十一面、千手、不空羂索などの特殊な形態をとる変化観音。

●信仰の目的は財宝、治病、延命などの現世利益。

●主な経典は、十一面観音や千手観音に供養をささげて、病気の平癒や財宝の出生を祈願する雑部経典が多い。代表的なものとして「陀羅尼集経(だらにじっきょう)」がある。

●修行法は、上記の尊格の陀羅尼(口密)を唱えることが中心で身密、意密をも完備した三密行にはまだ至っていない。

●密教世界の縮図ともいうべき曼荼羅がまだ完全にできあがっていない。



(2)中期密教

7世紀頃、インドにおいて成立した体系的な密教。日本における純密にあたる。

●本尊となる尊格は、大日(毘盧遮那びるしゃな)如来という新しい性格をもった宇宙的な仏格

●信仰の目的は従来の現実的な目的に加えて、自らのうちに仏を体現する即身成仏の思想(悟り)が説かれる。

●主な経典は、「大日経」「金剛頂経」などを中心とする体系的な密教。空海などにより唐代の中国を通して日本にもたらされた密教はこの段階。

●修行法は、三密行が完成している。

●大日如来を中心にいただく曼荼羅ができあがり、曼荼羅は密教の思想上、実践上不可欠の役割を果たしている。



(3)後期密教

8世紀以降、タントリズムの影響を受けて成立した密教。性的ヨーガや生理的行法を取り入れている。主にチベットに伝えられ、日本や中国においてはほとんど受け入れられなかった。したがって、日本では中期密教を最高の密教とみなすのに対して、チベットでは後期密教を最高の密教と見なす。(タントラとはサンスクリット語で織物の「横糸」をあらわし、「縦糸」をあらわすスートラと一対で用いられる。そこから発展して、それまでの仏教経典をスートラと呼ぶのに対して、秘密的・実践的な要素の強い密教経典はタントラと呼ばれるようになる。今では、性行為を修行に導入したインド系の宗教全般に対して用いられるほか、チベット仏教では密教経典はすべてタントラと呼ばれている。)

●本尊として崇められる対象も激変し、大日如来が目立たなくなり、阿閦如来(あしゅくにょらい)→グヒヤサマージュ(秘密集会ひみつじゅうえ)→へーヴァジュラ(呼金剛ここんごう・喜金剛きこんごう)→チャクラサンヴァラ(勝楽尊しょうらくそん)→カーラチャクラ(時輪仏じりんぶつ)といった多面多臂(ためんたひ=たくさんの顔と腕)の秘密仏といわれる本尊が次々に登場した。これらの秘密仏は同じ容姿容貌の女尊と抱き合うという仏らしからぬ姿かたちをなしている。

●信仰の目的は中期密教と同じく現世利益と悟り。

●主な経典は秘密集絵タントラ、ヘーヴァジュラタントラ、カーラチャクラタントラなど。

●修行法は、性的ヨーガと生理的ヨーガが中心。




仏菩薩との一体化、仏の悟りの境地を描いた曼荼羅、威力ある聖なる言葉のマントラなど、神秘的で魅力的な密教ですが、性的ヨーガや生理的行法を取り入れたことにより、他の仏教界から異端児あつかいされ、さらには堕落した教えという蔑視を含む見方もあるようです。



その一方で、密教美術の素晴らしさは賛美を惜しまない声あります。仏教美術の大半は密教が創造してきました。密教寺院の内部には、たくさんの仏菩薩の鮮やかな色彩の彫像や画像に満ちています。日本仏教も、仏教美術の8割以上を密教由来の美術作品が占めています。



現在、密教が勢力を保っているのは、日本とチベットとネパールとブータンです。日本の密教は真言宗と、および天台宗の一部である天台密教で、その他の宗派はすべて大乗仏教の顕教です。



<仏教の歴史と教え>

インド仏教のおおまかな歴史


チベット密教について



<仏教美術について>

仏教美術について(初期〜顕教〜密教)


タンカ(仏画)について


五仏(五如来)について



参考文献