初期仏教ーお釈迦様の教え
釈迦の入滅後の仏教を「初期仏教または原始仏教」といいます。初期仏教は時間の経過とともに、さまざまなグループ(部派)に分裂し、そのグループのひとつがスリランカに伝わり、そこからミャンマー、カンボジア、タイに伝播して、今日「テーラワーダ仏教(漢訳では上座部仏教)と呼ばれています。
お釈迦様の創始した仏教の流れを汲むテーラワーダ仏教の最大の特徴は、外の力に頼らずあくまでも自分の力で道を切り開くという点です。煩悩にまみれた生活から始まって、修行により煩悩から脱し、遠い遠い未来に「悟る」ことを目指す。お釈迦様は修行の本質は肉体を痛めつけるような苦行ではなく、ただひたすら精神を集中することにあるという真実に気づきました。ですので、テーラワーダ仏教の出家者は毎日はただひたすら瞑想する修行です。それでも悟ることの出来る人はごくごくわずかです。テーラワーダ仏教の目標は「永久に到達できない目標に向かって、一歩でも近づけるように努力し続けること」ということかもしれません。
そのくらい困難な目標を本気で目指すならやはり出家しかないということになります。スリランカやタイのテーラワーダ仏教は初期仏教のシステムを受け継いでいます。出家者である僧侶は種々の戒律に従い教団内で修行して暮らし、在家の一般信徒は僧侶たちの生活を経済的に支えています。
1.伝承されるお釈迦様の教えの要点
お釈迦様が創始した仏教の伝承される要点は下記のようなものです。
●四法印(しほういん)ーお釈迦さまの教えの四つの柱。
内容的には四諦と八正道を組み合わせたようなもの。
【一切皆苦】いっさいかいくーすべては苦である。
【諸行無常】しょぎょうむじょうーすべては変化する。
【諸法無我】しょほうむがーすべてはじぶんのものではない。
【涅槃寂静】ねはんじゃくじょうー仏教における絶対平安の境地。
仏教では「一切皆苦」「諸行無常」「諸法無我」の心理を理解すれば悟りを得て「涅槃寂静」を得られると考える。
●中道(ちゅうどう)ー仏教の原則は快楽の極端と苦行の極端の両方を避ける合理的で穏やかな中道にある。
●縁起(えんぎ)ーすべての生物すべての現象は網の目のように繋がっている。お互いに依存し、影響を与え、関連仕合い、今ここにある。
●戒律(かいりつ)ー出家者に課された欲望や迷いを離れ修行を行うための生活の規律。
●四諦(したい)ー苦が生じるプロセスと、苦をなくす解決方法の四つの真理。
●八正道(はっしょうどう)ー苦をなくすための八つの修行法。
(1)一切皆苦(いっさいかいく)〜この世は苦しみだらけ〜
自分の行く手にあるのは老いと病いと死。この絶対的な心理に向かって生きていかなければならない苦しみを知ってしまった若き日のお釈迦様。
お釈迦様に現世を捨てさせたもの、修行の道へと駆り立てたものは「この世は苦しみだらけ」という気づきでした。
〜六道輪廻(ろくどうりんね)〜
さらに、お釈迦様が生きていた時代のインドでは輪廻思想というものがありました。これは宇宙には「天」「人」「阿修羅」「畜生」「餓鬼」「地獄」という六つの世界があって、生きとし生けるものは自らがなした行為によって必ずこの六つの世界のどこかに生まれ変わり死に変わり、いつまでもぐるぐる巡り続ける六道輪廻という考えで、善行を果たせば善き生に生まれ変わり、悪行をなした者は悪しき生を迎え、輪廻世界は総体として苦しみの世界です。つまり、生きても死んでも苦しみは輪廻世界の中で永遠に続いていくということです。お釈迦様もこの考えは受け入れていました。
〜六道輪廻〜
【 天 】ヒンドゥー教の神々としての生。
【 人 】通常の人間としての生。
【阿修羅】ヒンドゥー教の闘争好きな下位の神々としての生。
【畜 生】弱肉強食の常に不安に怯える動物としての生。
【餓 鬼】飢えと渇きで骨と皮になって苦しむ生。
【地 獄】責め苛まれる。六つのうち最も苦しみの多い生。
死者はすぐに転生せず49日間は中有(ちゅうう)という中途半端な状態にあるといわれています。
〜煩悩(ぼんのう)〜
お釈迦様はこの苦しみに満ちた輪廻世界を離れ、永遠に変化しない絶対安穏な状態になるためには、煩悩と呼ばれる私たちの心の中にある悪い要素を完全に断ち切らなければならないと考え、人生の「苦」を乗り越える修行方法を編み出しました。
煩悩にはいろいろなものがあります。強欲、嫉妬、怒り、傲慢など全部で108あるといわれています。この中で私たちを最も苦しめ悩ませる煩悩を、三毒の煩悩といいます。
〜三毒(貪・瞋・癡(とん・じん・ち))の煩悩〜
【貪欲】どんよくー貪り
【瞋恚】しんいー怒り
【愚痴】ぐちー愚かさ
お釈迦様は、三毒の中でもいちばん苦しみの原因になる煩悩は、「無明(むみょう)」だと考えました。「明」は智慧のこと、「無明」とは智慧がないことで「愚かさ」の意味です。愚かさこそが苦しみの究極の原因ということです。
〜因果の法則・縁起〜
初期仏教は、この世の森羅万象あらゆる現象の背後には「因果」の法則が作用していると考えます。この世の出来事はすべて原因と結果の峻厳な因果関係にもとづいて動きます。自分がなしたことの結果は必ず自分に返ってくる(カルマの法則=業(ごう))。人は自分の行為に対し100%その責任を負うというのがお釈迦様の考え方の大きな特徴です。
この世が原因と結果だけで動いているとすれば、すべての存在、あらゆるものごとは、因果関係の網の目でつながっていますから、いつでもお互いに影響し合っています。すべては「因」の一要素にすぎず、その無限数の「因」の一要素が絡み合い、連鎖し、その結果思わぬところに影響が出る因果関係のことを「縁起」といいます。「風が吹けば桶屋が儲かる」という言葉は、この縁起をいったものです。
(大乗仏教ではこの因果関係は初期仏教とは異なるものになります。因果則を超える神秘的で特別な何かがあると考えます)
(2)諸行無常(しょぎょうむじょう)〜すべては変化する〜
平家物語の冒頭の一文の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」は、平家の栄耀栄華は続かなかったことを書いたものです。
108ある煩悩の中で、究極の苦しみをもたらす煩悩は「無明」といわれています。「無明」は愚かさのことで、ものごとを誤った捉え方をし、正しく世界を見れていないということです。「すべては変化する」、これがこの世で起こっているものごとの正しい姿はです。すべてものは時々刻々変化する。永遠不滅なものなどどこにもない。これを「諸行無常」といいます。
たとえば、やっと得た財産や地位や名誉、良好な人間関係、若さなどずっとこのままと思い込み、またはずっとこのままであってほしいと「執着」します。「執着」は苦しみにつながっていきます。お釈迦様は諸行無常の真理を理解すれば、「無明」からくる「執着」を離れることができると説きました。
(3)諸法無我(しょほうむが)〜すべてはじぶんのものではない〜
諸法無我はすべての存在、ものごとは、お互いに影響を及ぼし合う因果関係によって成り立っていて、他と関係なしに独立して存在するものはない。自分という存在すら主体的な自己として存在はしていないという真理で、すべては因果関係・縁起によって成り立つ相対的な現象であるという教えです。
「諸行無常」はこの世のすべてのものは変化する真理。
「諸法無我」はこの世に「私」という絶対的存在などどこにもないという真理
お釈迦様はこの2つの真理を理解すれば、世界をあるがままに正しく見られるようになって「悟り」を得、煩悩を滅した安らかで苦のない境地の「涅槃寂静」に至ると教えています。
2.初期仏教の修行法
初期仏教はひたすら自分の心を修める修行の道を定めた「修行の宗教」です。煩悩まみれの自分からスタートして、ゴールを煩悩の消滅した悟りの状態(涅槃)に置き、神秘的な力を信じず、生きていくうえでの苦悩をすべて自分の問題として考え、自らを変えていくことによって少しずつ段階的に悟りを得ることを目指します。
開祖のお釈迦様は人生の「苦」を乗り越える修行法を、「戒律生活」「四諦」「八正道」で説いています。
(1)戒律(かいりつ)〜修行者の生活規律〜
煩悩の世界から逃れたい人は、仏道に入門し出家者(修行者)となるために、仏法僧(ぶっぽうそう)の三宝に帰依します。
〜三宝(さんぽう)3つの権威〜
【仏】ブッダーお釈迦様
【法】ダンマーお釈迦様の教え
【僧】サンガーお釈迦様の弟子たちの教団
出家したものは200以上の具体的な戒律に従って欲望や迷いを離れた生活の中で修行します。戒律の目的は欲望を抑え修行に取り組みやすくすることにありますが、集団生活上の取り決めという性格もあります。
〜戒律の基本〜
●性的な行動をしない。盗まない。生きものを殺さない。
●「俺は究極の悟りを得た」などと妄語しない。
この2つから始まって、さまざまな細目が展開する。
●正午から翌日の夜明けまで食べ物を食べてはいけない。
●大声で笑ってはいけない。
●他の修行者をくすぐってはいけない。
●衣をたくしあげてはいけない。等々
初期仏教のシステムを受け継いだテーラワーダ仏教では、今でも200を超える戒律を厳格に守っています。また、出家者の生活を経済的に支える在家の信徒は、殺さない、盗まないなど五種(五戒)の戒律を守らなければなりません。
〜在家の五戒〜
【不殺生戒】ふせっしょうかいー生きものを殺さない。
【不偸盗戒】ふちゅうとうかいー盗まない。
【不邪淫戒】ふじゃいんかいー邪な性行為をしない。
【不妄語戒】ふもうごかいー悟りを妄語しない。
【不飲酒戒】ふおんじゅかいー酒を飲まない。
(大乗仏教では別の「戒律」が説かれています。また、日本仏教では「戒律」にこだわらなくなっています)
(2)四諦(したい)〜苦をなくす四つの真理〜
出家者となり戒律を守って暮らし、お釈迦様の教えの「四諦」と「八正道」に従って修行生活を送るのが、初期仏教の基本です。「四諦」とは人間の苦悩が生まれ出るプロセスを分析し、それにどのように対処すべきかを説いた仏教の基本方針です。「諦」は明らかにするという意味。英語では「truth(真理)」です。
〜四諦〜
【苦諦】くたいーこの世はひたすら苦しみであるという一切皆苦の真理。
【集諦】じったいーその苦しみを生み出す原因が心の中の煩悩だと知ること。
【滅諦】めったいーその煩悩を消滅させることで苦が消えるという真理。
【道諦】どうたいー煩悩を消滅させるための具体的な八つの道を実践すること。
(3)八正道(はっしょうどう)〜苦しみをなくす八つの道〜
「四諦」にある「道諦」の煩悩を消滅させるための具体的な八つ道が八正道です。
〜八正道〜
【正 見】しょうけんー正しいものの見方。(四諦という根本的な真理を忘れない)
【正 思】しょうしー正見にもとづいた正しい考えをもつ。(煩悩に陥るような思考をしない)
【正 語】しょうごー正見にもとづいた正しい言葉を語る。(嘘やくだらない話などをしない)
【正 業】しょうごうー正見にもとづいた正しい行いをする。(殺生、盗み、性行為をしない)
【正 命】しょうみょうー正見にもとづいた正しい生活を送る。(衣食住をほどよいものにする)
【正精進】しょうしょうじんー正見にもとづいた正しい努力をする。(善を行い悪をしない)
【正 念】しょうねんー正見にもとづいた正しい自覚をする。(常に自らの心身をチェックする)
【正 定】しょうじょうー正見にもとづいた正しい瞑想をする。(適切な瞑想を実践する)
出家者、在家者ともにそれぞれの修行で、人々への慈しみの心、深い洞察力や智恵が高まると、それに応じて来世の生のステージが上がります。そして初期仏教の最終ゴールは「阿羅漢(あらかん)」という聖者になることです。お釈迦様は完璧に悟って仏陀になりましたが、仏陀は別格の存在で、仏弟子は仏陀にはなりません。仏陀の一歩手前の位である「阿羅漢」になるのを最終目標にしています。